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アートと広告の境界線


ラグジュアリブランドのショップは世界のメガシティの目抜き通りに出店するというのが定跡形だけど、この"Prada Marfa"は人口2,000人ほどのテキサスの小さなアートの町"Marfa"から更に60km離れたHighway90沿いの果てしない荒野の中にある。
"Prada Marfa"はElmgreen & Dragset(北欧のアーティスト)によってつくられたアート作品であり、2005年にオープンした。店内には芸術を支援するPRADAから提供された2005年モデルの高級靴やバッグがディスプレイされており、通常のPRADAショップ同様にロゴマークもある。ただ店員がおらず、常時施錠されており、客が中に入れないだけだ。
この建物はこのまま朽ち果てて廃墟になるまで放置されるというコンセプトでつくられており、現代の消費主義社会に対する皮肉的イメージになっている。尚、この作品はBallroom Marfa及びArt Production Fundが100,000ドルの資金を提供し、実現した。




このPrada Marfaを一目見ようと、多くの観光客がやって来る訳ですが、落書きや破壊行為、盗難などの被害に遭うこともあり、その都度修復された。"朽ち果てて廃墟になるまで..."というコンセプトの実現はかなり難かしそうだ。それまでに何度修復を...。

そして年月を経て、2013年末、PLAYBOY Magazineが同じ道路沿いにRichard Phillipsによるアート作品を突如立ち上げた。しかし、"Texas Department of Transportation"(TxDOT)はそれを広告であると判断し、撤去を命令した。因みに撤去されたPLAYBOY Marfaは"Dallas Museum of Art"に移設された。アートで無い烙印を押された作品が美術館に引き取られるというのはどういう意味だろうか。

このPLAYBOYの件をきっかけに"TxDOT"は"Prada Marfa"も広告であるとの判断を下し、撤去指令を発動したが、Marfaの人たちを中心に激しい反対運動が起こった。

そんな騒動に影響を受けたかどうかわからないが、今年の4月、1人のアクティビストがPrada Marfaの壁を青いスプレーで塗り、Toms Shoesの靴を置くという事件が起こった。彼はそれを"Toms Marfa"と名づけ、"Prada Marfa"のことを"ナルシズムと非倫理的な快楽主義であり、それは将来の不幸を予言する黙示録のようだ"と罵った。


このような事件の中でも"アートか否か"問題についての抗議は継続され、約1年の時を経て9月中旬"Prada Marfa"が遂にアートとして認定され、今後も保存していくことが確認された。今後は"Prada Marfa"を運営している"Ballroom Marfa"が敷地をリースする形式となる。
何がアートで何が広告か...という問題は非常に難しく、この場合はファンがいるかどうか、多くの人がアートとして認識しているかどうか、みたいなことが分かれ目となった。しかし、実際、アートと広告の境界はどこにあるのだろうか?
例えばJeff Koonsの"Luxury and degradation"は洋酒の広告を油性インクでキャンバスにプリントしてあるというだけで見た目は全く同じだ。

これは現代美術の父・Marcel Duchampが日常的にあるありふれたもののなかに美的なものを発見する"レディメイド"という概念(便器などをそのまま展示するようなこともあった)に少なからず影響されており、このような広告に隠された人種やセクシャリティの問題、更には消費主義の問題などのメタファーと考えられている。Koonsの作品ではないが、別のアーティストによる引用問題が訴訟に発展することもあった。
Prada MarfaもPLAYBOY Marfaも共にアーティストと呼ばれる人の作品であり、撤去されたPLAYBOYの作品も現在は美術館に移設されている正真正銘のアートであるが、正反対の結果となった。アートの正体みたいなことを考えると迷宮に入りそうです。
※追記:"Prada Marfa"はAndreas Gurskyの"Prada"を回収しているとの指摘を受けました。確かにそうですね。

また、PLAYBOYの作品について個人的に考えてみたのですが、そもそもは広告だったが、"TxDOT"に否定された瞬間に"役所的エゴイズム"などの意味が発生し、アートになったのではないかと思いました。聞くところによると、Marcel Duchampの"便器"も最初はアート界から否定されたことによってコンテクストが生まれてアートになったという複雑な経緯があったようです。