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広告業界に急増する「ストーリーテラー」という肩書き


去年・今年とカンヌライオンズで語られまくった"ストーリーテリング"について興味深い記事が"Creative Review"に掲載されていた。
Stefan Sagmeister(Sagmeister & Walsh/パートナー)は最近、クリエーティブ界隈で自らを「ストーリーテラー」と名乗る流行を「糞だ」と激しく切り捨てている。それは"Camp festival in Calgary"(9/8-9)を主催するFITCのインタビューでのことであり、かなり挑発的な感じだ。※"Camp festival in Calgary"(テクノロジー、アート、デザインのイベント)のそのプロモーションとして大袈裟に言っているように思うが...結構茶番多いので)

このビデオがポストされたVimeoのコメント欄には、特に「小説家や脚本家のみがストーリーテラーだ」とのSagmeisterの発言に対する否定的コメントが書き込まれている。

コメントの主張としては、ストーリーテリングはそんな狭い範囲のことではない、とのこと。一方、Sagmeisterの主張はストーリーテリングが広告・マーケティング業界が商売をしやすくするためにねつ造されたトレンドに過ぎないということだ。今年のカンヌライオンズの多くのセッションでストーリーテリングは語られていた。まるで驚くべき発見であるかのように。でも、これは昔からあったことで、言葉を変えただけなんだ、と。
恐らく業界リーダーの何人かはストーリーテリングというトレンドを求めている。Mainardo De Nardis (OMD)によると「ストーリーテリングはコンテンツをクリエーションし、様々なプラットフォームを通じて適正なユーザーに配信するキャパシティである。それは二年前に"インテグレーテッド"と呼んでいなかったか?」
そして、こう付け加えている。「ストーリーテリングなしでは私たちは30秒スポット提案の時代に戻ってしまう。それは、私たちがより良いエンゲージメントのために求めていることではない。」

カンヌライオンズで今年話題になったジャン・クロード・ヴァンダムの印象的な語りから始まるVolvo Truck"Epic Split"。これなんて、伝説のキャンペーン"Solvite"と同じじゃないか?


ストーリーテリングは過去の偉大なキャンペーンにとっても心臓部でもある。このVWの"Snow Plow"がストーリーを語っていないとしたら何だ?

BBHのLevi'sのキャンペーンなんて、製品固有の特徴をうまくストーリーに昇華させている。

今や私たちにはより長い尺でブランドやユーザー、コミュニティについて語ることができる。
※Stella Artois(ビアブランド)がウィンブルドンテニスを支える人や技術を紹介するビデオシリーズを展開。これは、決勝当日、優勝トロフィに勝者の名前を刻むためだけにポーランドから車と船で遠路はるばるやってくる職人の物語)

タブレットのような新しくパワフルなツールを使ってストーリーを語ることができる。

ストーリーテリングは広告業界にとって普遍的なものであるが、だからといって私たちはストーリーテラーではない。
冒頭のフィルムでSagmeisterは自分自身をストーリーテラーと名乗るクリエーターを"ローラーコースターデザイナー(自分たちを飾ることばかりする奴ら)"として揶揄している。広告業界はより複雑になるコミュニケーションの中で自分たちの役割を探している。データギークアルゴリズムには提供できない自分たちのポジションをつくりたくて、ストーリーテラーに飛びついているだけだ...と語っている。
勿論、担当しているブランドや企業を力強いストーリーと共に語り、生活者の意識をポジティブにすることは相変わらず素晴らしい。しかし、私たちは今やたくさんのストーリーテリングの方法を知っているし、新たな発明的に語るのはおかしくないか?
(via Creative Review)
業界の流行語をつくり、権威を与え、エージェンシーやクリエーターに武器を授ける...というのはカンヌライオンズの役割だし、クリエーターが「ストーリーテラー」と呼びたい気持ちも分からないでもない。ファッション業界が流行の色や柄をつくって、生活者を巻き込んでいく手法とそう変わらないのではないかと思います。