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ストーリーテリング...終わりの始まり


"ストーリーテリング"は去年〜今年にかけての広告界におけるNo.1のバズワードだ。カンヌライオンズでも"ストーリーテリング"をテーマにしたセミナープログラムが多く、また、一部のクリエーターは自らを"ストーリーテラー"と呼んでいるそうだ。その"ストーリーテリング"に関する興味深い記事"The Beginning of the End of Storytelling"がAdageに掲載されていた。
この記事の筆者であるDavid Berkowitz(CMO @ MRY)が妻と共に知人たちと会話していた時のこと。その知人たちは人の話に耳を傾けず、自分の話ばかりを語る人だったようで、妻は"彼らは自分の物語を語ってるだけ"と嘆いたそうだ。
Davidによると、これが大きな気づきに繋がった出来事で、"ストーリーテリング"は人と理解し合う道を開くというよりは、製品やブランドに関するある瞬間や特徴に光を当てるといった類いのものになってしまっている。加えて、あなたが好きなAppleやTide, Gucciの物語をあなたは覚えているか?という問題がある。例えばDavidの妻はDiet Cokeの大ファンであるが、Diet Cokeの物語は知らない。
逆に、妻が覚えているのはCokeが赤いタブの缶を発売した時に友達みんなで集めたことやキャンプで好きな男子の話をする時にタブを開けるのがセレモニーだったことなど。これによって友達との仲がより深まったそうだ。
そして"ストーリーテリング"の未来は"ストーリーメイキング"であると結論づけている。これはDavidの妻が体験したように、ユーザーが自分自身の物語をつくって友人とシェアすることをブランドがサポートするという意味合いで、ブランドはその個々人の物語の中に何らかの形で寄り添うイメージだ。
その例としてCoca-Colaの"Share a Coke"があがっていた。その国のポピュラーな名前をボトルに記した日本でも実施されたキャンペーンだ。

こんな風にボトルを使って恋人にプロポーズする人が現れたりする。

Coca-Colaがこのようにレスポンスすることで、更に注目が集まる。

このあたりはカンヌライオンズ2014でのセミナー"Winning in Realtime"でもCoca-Colaの取組みとして紹介された。
個人的にもCoca-Colaがユーザーの行動に対して沈黙せずに働きかけていく展開については興味があったのですが、こういう視点で説明されることでより深い興味を持ちました。
元々"ストーリーテリング"は商品の機能差に人々が心を動かさなくなった今、ブランドの存在意義に関連した多くの人が共感できる大きな物語が必要で、その物語により人々をブランドの世界に巻き込んでいく...といったブランディングの類の話だと思ってました。例えば、わかりやすいのはPanteneのジェンターギャップを描いたこのフィルム。

他にも、P&G"Thanks Mom"とかDove"You're more beautiful than you think"など、例はたくさんありますが。
それが、このVolvo Truckのフィルムのように、機能に軸足を置いた物語も"ストーリーテリング"と呼んでいることを知って、えっ?となりました。

勿論この作品の良し悪しに対する違和感ではなく、全てを"ストーリーテリング"で包み、そして"ストーリーテリング=新発明"みたいなイメージになっていということに対する違和感です。こうなると"ストーリーテリングは昔からあった"という意見が出てくるのは当然だと思いました。
こんな感じで"ストーリーテリング"は単なるクライアント説得の為に業界総出で推進されるギミックなのか? と思っていたのですが、"ストーリーメイキング"は今の所、興味深いです。