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ダミアン・ハーストの炎上商法的手法を見て、アートの名の下に行動すれば、ひょっとしたら「人殺し」でも許されるのではないか、と思ったりした。

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The Physical Impossibility of Death in the Mind of Someone Living, 1991

現代アートの「価値基準」は難解です。「レディメイド」(デュシャン)だって、理解したフリをしていますが、心の奥底では「不必要なモノを買いたい気にさせる広告」とさほど変わらない、とか思っていたりします。

その現代アートトップランナーダミアン・ハースト」の90年代~の代表作に"Natural History"というシリーズがあります。「牛やサメ、羊などの動物を、縦半分に切断したり、輪切りにしたりして、そのままホルムアルデヒト漬け」した、「生と死」をテーマとする大胆且つグロテスクな作品ですが、先月20日頃、作品から有毒ガスが発せられるとの告発があり、いろんなメディアで記事になりました(ハーストはそんなリスクはないと断言しておりますが...)。
 
この記事を見て、企業のように販売済み作品の回収に至るのかな、とか、裁判にならないか、などと世の常識に照らし合わせて考えを巡らせていたのですが、先週末の"Frieze New York"に堂々と出展しているのを見て驚きを隠せない次第です。
 
"Frieze New York"は、全世界から約200のギャラリーが参加する、ロンドン発のビッグなアートフェアであり、世界最大のギャラリー「ガゴシアン」ブースの一角に"Natural History"が鎮座しておりました。(ギャラリーのコメントによると解決したとありますが)

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有毒ガスが発生するとの告発によって、その文脈が逆に作品価値に還元されると読んだのではないかというのが、現地を訪れた知人の読みです。ハイコンテキストな現代アートです。難解です。ハーストはガゴシアンとは契約終了していたのですが、このタイミングを狙って再契約したようです。アーティストとは、ビジネスマンであり、マーケターであり、PRマンです。
 
思い起こせば、昨年の"Frieze New York"で、他人のインスタ写真に謎のコメントを残した上でスクリーンショットし、それをそのまま拡大プリントして90,000ドルで販売するという荒技を仕掛けたリチャード・プリンスの一件なんかでも、同じように「炎上転じてチャンス到来」現象がおこりました。
 
この炎上商法的なやり方について、こんな話を聞いたことがあります。
中世の頃、領主が美しい花の画を購入し、民衆の間でその美しさが話題になったんだけど、領主は単に美しい花の画というだけでなく、その花びらに込められた女性器のコンテクストにまで価値を感じており、民衆との価値観の差こそが作品に対する満足感になっている。
普通なら炎上は大きなリスクになりますが、アートの場合は火をくべる人と買う人が全く違う価値観や階級意識を持った異なる世界に暮らす人種なのでこういうことが成立するのかなと思います。
 
アートコレクターにとって、現代アートは、その歴史を鑑みつつ、アートの可能性にチャレンジすることとして見えるのではないかと思いますが、一方で、その他大勢にとっては、アートとはあらゆる罪をなきことにできる「免罪符」のような存在に見えるのではと思います。アートの名の下に行動すれば、ひょっとしたら「人殺し」「強盗」でも許されるのではないか、と思う次第です。